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カテゴリー:お米の物語

新潟米の運命を変えた「魚沼産コシヒカリの歴史」

ブランド米として有名な魚沼産コシヒカリ、どのような経緯で生まれたのかご存知ですか? 実は米作りに恵まれた土地とはいえなかった新潟県で、米作りに関係する全ての人々のたゆまぬ努力と技術が積み重なって生まれました。今回は魚沼産コシヒカリの歴史をご紹介します。

新潟県の「潟」とは

コシヒカリの前に、新潟県の歴史にも触れる必要があります。新潟県の名前にある「潟」という漢字は湖沼を意味します。

越後平野には古くから「潟」と呼ばれる多数の湖沼が点在しており、水捌けの悪い湿田が多く洪水がたびたび起こっていたそうです。

そのような土地でしたが、戦国時代末期から江戸時代前期にかけて越後平野の開発が急速に推し進められ、干拓が行われて農業がさかんに行われるようになりました。

さらに近代に入り、用排水路の整備や潟の開墾などの土地改良事業が本格化され、今日の新潟県の農業の土台をつくりました。

 

 

昭和初期には不人気だった新潟県のお米

今では「美味しいお米」といえば、誰もが新潟米やコシヒカリを思い浮かべるのではないでしょうか。

でも実は、昭和の初め頃、新潟米といえば鳥すらもまたいで通る「鳥またぎ米」と呼ばれ、おいしくないお米というイメージを持たれていたそうです。

 

そんな新潟米の運命を変えたのがコシヒカリでした。

 

 

コシヒカリ誕生の歴史

1944年に新潟県農業試験場でコシヒカリの元となる品種が人工交配で誕生しました。

味が良いのですが、稲が倒れやすく病気に弱いという欠点がありました。

 

1955年頃は味よりも作りやすさが重視されていた時代でしたが、食味・品質に優れる新潟米の確立を目指していた新潟県は「育成方法でカバーできる欠陥は致命的欠陥ではない」と判断から、この品種を新潟県の推奨品種に採用しました。

1956年に新潟県の旧名「越後」より、「越の国の光になってほしい」という思いから「コシヒカリ」と命名されました。

 

1962年に新潟県として「日本一うまい米づくり運動」を展開、「新潟米」と書かれた赤票箋(あかひょうせん)をつけて品質保証をアピールしました。

1969年、自主流通米制度が始まったことで、良質なコシヒカリの人気が高まり、全国に広まります。

現在では、日本全国で栽培され、ダントツ一番の栽培量になりました。

 

 

魚沼地域ならではの育成環境

新潟県南部の山間部に位置する魚沼地域。

豪雪地帯で厳しい自然環境に置かれている土地ですが、そんな厳しいながらも豊かな自然環境が魚沼産コシヒカリを育てるのに適していました。

夜の低い気温がお米の甘みとなるでんぷんの夜間消耗を抑えることに繋がり、食味の良いお米が育ちやすく、豪雪がもたらすミネラル豊富な雪解け水がお米の味に大きな影響を与えます。

 

さらに地域の人たちのコシヒカリへかける想いは強く、米作りに関わる関係者が連携し共同育苗施設をつくるなどの地域全体の取り組みも重なり、いつしか「魚沼産コシヒカリ」は他のお米とは一線を画したブランド米へと育ちました。

 

 

まとめ

以上、魚沼産コシヒカリの歴史について紹介しました。

ブロンコビリーでは「魚沼産コシヒカリ」を店内の大かまどで炊き上げています。

炊きたてのおいしさを多くのお客様に味わっていただくために、8kgまで炊ける大かまどで2kgずつ炊き上げます。

少ない量で炊くことによって、お米の炊き上がりがよりふっくらして甘味を最大限に引き出すことに繋がり、さらに一日に何度も炊き上げることによって、その都度お客様に炊きたてを味わっていただく機会が増えるためです。

 

せひブロンコビリーで魚沼地域の農家の方々の努力が積み重なって育まれたコシヒカリをご堪能下さい。

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