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カテゴリー:ブロンコビリーの物語
【創業者】竹市靖公の物語
ブロンコビリーを創業した故 竹市靖公(たけいちやすひろ)とはどのような人物だったのでしょうか。 「企業理念を大切にし、常に高い目標を掲げながら挑戦し続ける」 という創業者の強い想いと共にブロンコビリーは成長してきました。今回はブロンコビリー創業者の竹市靖公の物語をご紹介します。
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ブロンコビリー創業者
竹市靖公
ブロンコビリーとともに歩んだ竹市靖公のストーリー
喫茶「トミヤマ」の創業
ブロンコビリーの前身は竹市が26歳の時に名古屋ではじめた喫茶店「トミヤマ」でした。
とてもよく流行った喫茶店でしたが、「もっとより多くのお客様、より多くの仲間と出会い、働いている人たちにも夢が共有できるような会社を創りたい」と考え、休日の度に自らの足で日本全国の繁盛店の視察を続けました。その中でみつけたステーキハウスという新しい業態に挑戦します。
ステーキハウス「ブロンコ」誕生
1978年に「トミヤマ」の敷地内にステーキハウス「ブロンコ」をオープンします。1980年には現在と同じ「ブロンコビリー」という店名になりました。
竹市は「働く仲間と、将来の目標と志を共有し、必ず実現させる。」という強い信念を持ち、創業当時からブロンコビリーを東海地方屈指の会社にしたい、日本一の会社にしたいという高い目標を定めて経営を行ってきました。
炭焼き・サラダバーの導入
1985年には、炭焼き調理と当時では珍しいサラダバーを導入し、他とはひと味違ったアメリカンスタイルのステーキハウスとして人気を博します。
多店舗化への挑戦
1995年から2001年にかけて一挙に40店舗の出店。多店舗化を図ります。
出店ペースが加速する中、業務効率化のため、手間とコストの掛かる炭焼きとサラダバーを2000年に廃止し、当時の外食業界の低価格競争に対抗するため、400円のハンバーグや700円のステーキといった低価格メニューを打ち出します。
BSE問題で倒産の危機
2001年。その厳しい低価格競争の最中に、全世界を巻き込む騒動となったBSE(牛海面状脳症)問題が発生します。
お客様がぱったりと来なくなり、9月〜12月の4ヶ月の間に約5億円の赤字を計上。
また低価格路線も完全に裏目に出てしまい「前より美味しくなくなった」と、さらにお客様が離れてしまいました。
そのようなどん底の状況の中、その苦しみの中考え抜いたのは、「ブロンコビリーの得意なこと、好きなこと、高い評価を得ること、とは何か」でした。
そして働く全従業員が一丸となって、徹底的にメニューやサービスの改革に挑戦します。
竹市は生前に「この時、倒産の危機にも関わらず、誰一人辞めないでついてきてくれたことが一番の誇りだ。」とよくおっしゃっていました。
炭焼き・サラダバー・大かまどごはんでV字回復
炭焼き調理、サラダバーの復活、大かまどごはんの導入といった今のブロンコビリーの原点となった改革を中心に、様々な取り組みの成果が実り、見事に業績はV字回復。
2005年に経常利益率17.2%を達成しました。これは当時の外食産業の中で全国3位という快挙でした。
2007年にジャスダック上場、2011年には東証2部に上場。2012年には東証1部へ上場。(現在はプライム市場)
東証1部に上場したのを機に、社長を現社長の竹市克弘に譲り、代表取締役会長に就任しました。
2014年には念願だった「外食産業の中で全国一位の経常利益率15.4%」を達成しました。
教育への信念〜外食産業は教育業〜
「ブロンコビリーはステーキとハンバーグ、そして人をつくっています。」と、昔のブロンコビリー会社案内に書かれていた竹市の言葉があります。
竹市は人を育てることに力を注いできた人物でもありました。「人の成長を通じてこそ会社の成長発展がある」という理念を持ち、「外食産業は教育業」の考えのもと、従業員教育の為に惜しみなく投資し、「年頭会議」「アメリカ研修」「KKI(経営改革委員会)」「店長会議」といった大きな研修を長年にわたり行ってきました。
すべては「現在のブロンコビリーのためではなく、将来のブロンコビリーをつくるため」でした。
社員だけでなく、パート・アルバイトを含めた全ての従業員が、会社の理念と目標を共有し、また全員が努力を重ねて成長することができれば、どんなに高い目標でも達成できるというのが竹市の考えです。
2011年には、そんな想いを浸透させるため、竹市靖公がそれまでの人生の様々な困難を乗り越えていく中で生み出された言葉、仕事や人生においての指標をまとめた「フィロソフィ手帳」を発刊しました。
また、人間性の成長だけでなく、実務教育も大切にしました。
1997年には本部にトレーニングセンターを設置し、調理研修を行いやすい環境を作りました。2017年には、東京都足立区の保木間店、2019年には名古屋駅にそれぞれトレーニングセンターを作りました。
現在でも、竹市克弘社長を中心にブロンコビリーの理念や目標を共有することで、お客様に価値を感じていただける「ご馳走レストラン」として、おいしい料理や気持ちの良いサービス、清潔で楽しい店作りを目指しています。
ブロンコビリーが大切にする創業者の想い
ブロンコビリー創業時からずっと一貫していた竹市の想い
「企業理念を大切にし、常に高い目標を掲げながら挑戦し続けること」
そんな竹市靖公のフィロソフィを大切にしながら、BSEの危機を乗り越えた時のように、全従業員が常に同じ方向を向いて努力を続ければ、この先のどんな困難も乗り越えられると信じ、社員ひとりひとりが日々経営を行なっています。
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